【実録】デマの手口、デマ屋に粘着嫌がらせをされた
先日、粘着・ストーカー的な嫌がらせを受けました。
その粘着を受けて僕が言った言葉を「侮辱だ」と相手は主張し、
まるで僕が悪いかのようにデマを流されました。
その実録と実例で、デマの手口の紹介となぜ僕に非がないのかを説明いたします。
- 発端はデマ屋からの「気持ち悪い」
- 重要な3垢目とのやりとり
- 外野の言葉に苦しめられる
- 悪く言っていい、そして因果関係
- 「死のうがしったことではない」
- 被害者であることが証明される
- 「〇〇と同じでしょ」「〇〇とどう違うの」
発端はデマ屋からの「気持ち悪い」
相手について、僕は以前から目に入らないようにTwitterでブロックをしていました。
しかし、別の人からこのように僕のツイートにかぶせて「気持ち悪い」と言っていると教えてもらい、相手が僕のツイートを見ている事に驚きと嫌悪を感じました。
発端は相手が僕を悪く言ったことです。
僕がブロックを解いて「こっちがブロックしてんのにわざわざ見に来て気持ち悪いとかいうお前のほうが気持ち悪いわ、見にくんな」的な言い返しをしてから長々と不毛なレスバが始まります。
その内容はコチラ ↓(見なくてもいいです)
(全部あるかは分からないがそこそこの量あります)
だいぶん下までスクロールしてください。
デマ屋が「言っていることが第三者からも理解されない」と言ったので、僕は「気持ち悪くて誰にも理解されないことをいう柳メロンパンを見る必要ないだろう」とレスバを終わらせ再度ブロックしました。
話を終わらせてからブロックするまで間があったのですが、僕が返事をしなくても延々とリプをつけてきました。
その1垢目にブロックしてしばらくして2垢目が来ました。
即ブロック。
重要な3垢目とのやりとり
2垢目をブロックしてから約12時間後、
なんと翌日に3垢目が粘着してきました。
ブロックしてもキリが無いと煩わしさと恐怖を感じた僕はリプを返します。
この時、僕は相手の言っていることを聞いたり応対せず(揚げ足とられるから)、拒絶の意志を示す為にやりとりをしました。
ここで問題の「メンヘラ汚物」という言葉が出てきます。
この時同時に加害されていると言っています。
相手が3垢まで使って粘着して来たため、またこれをブロックしても効果が無いような気がして、キツい言い方や表現をして相手を遠ざけようとしました。
相手が僕の事を嫌っているのに執拗に見ている矛盾した心理、このような嫌がらせ行為を続けることの汚さを込めて「メンヘラ汚物」と言いました。
この時に何度も
「これは僕(柳メロンパン)にとっての加害だ」
「複垢使った嫌がらせをやめてくれ」
とはっきりとした拒絶を行いました。
対してデマ屋は
「暇つぶしですよ」
「自分がされたら被害者づらしてるのか」
と言った事を言っています。
僕は「相手が嫌がっていてもやるんだな?」
と確認をしました。
ここでデマ屋が意図して害している確認と、僕の拒絶の意志を明示したのです。
さらに次の日4垢目が来ました。
そしてこの時に放った
「メンヘラ汚物」がヒドいと、
複数の第三者とデマ屋が言い出します。
外野の言葉に苦しめられる
この単語があまりに的確でコンパクトでインパクトある言葉であった為、これをクローズアップして僕が批判されるという流れができました。
デマ屋
「柳メロンパンに酷い言葉で侮辱された」
柳メロンパン
「いや、それは粘着嫌がらせ行為を指していったまで」
これがデマ屋のやり方です。
デマ屋は僕のインパクトあるツイートひとつを切り取って流布するだけでいい。
暴言を誘発したプロセスを説明するのに多くの言葉や証拠を使う必要があり、この印象操作を否定して回るほうが圧倒的に労力がかかるのです。
(だからツイッターで弁明をしてもラチがあかないのでブログ記事にした)
この経緯を知らない・見ていない・印象操作に引っ掛かった外野の言葉、いわゆる二次被害にイライラしていました。
二次被害について | 公益社団法人千葉犯罪被害者支援センター
例えるなら
痴漢「自分の楽しみの為に嫌がらせしよう」
被害者A「つきまとうのやめてください!」
痴漢「知ったことじゃねーよ、つきまとってやる」
被害者A「あっちいけ!何度も来るな!死んじゃえ!」
痴漢「死ねっていわれて傷ついた!ひどいぞ侮辱だ」---①
第三者「死ねなんて人に言うもんじゃない」
痴漢「Aひどいよな!死ねとかAひどい!」
被害者A「私、痴漢に付きまとわれたんだけど」
第三者「それでも死ねはヒドイよ」
痴漢「俺の痴漢も悪いけど死ねも悪い」---②
これがどれだけ卑劣か分かるでしょうか。
痴漢をデマ屋に変えればそのままです。
被害者はつきまとわれの負荷、デマによってさらに第三者から責められる状態になっています。
僕が置かれた状態もこの被害者Aと同じです。
ここにデマ屋の手口があります。
①自分の行為は棚に上げ被害者が追い詰められて発した言葉のみクローズアップ
②相手にも「死ね」と発した非があると罪を着せる
悪く言っていい、そして因果関係
僕の質問箱に
Q.(デマ屋に)侮辱されたからといって侮辱していいと主張してるんですか
と言った質問が来ました。
A.僕がされたのはつきまとい(ストーカー)、粘着の嫌がらせです。
はい、そんな事をされたなら悪く言っていいんです。
侮辱とすら僕は思わない。
「人を悪く言ってはいけない」に縛られてる人が勘違いしていますが、悪い事やった人に悪いというのはいいんですよ。
それがダメなら悪行の事実の指摘は出来ない。
悪い行為の指摘や描写、その時の被害者視点で見た加害者について述べたならおのずと「人を悪く言う言葉」になります。
今回、相手の行為や相手の言いざま・スタンスについて、僕は自分の目に映る事実(主観)を描写をしたまでです。
また、この言葉を誘発したのは3垢粘着という先に相手がやった行為です。
因果関係が成立
①3垢ストーカー粘着〔原因〕
↓
②相手を追い払いたいが為、強く罵倒する〔原因がなければ存在しない〕
①の行為に非があり、②には無い。あっても非常に小さいものになります。
①が無ければ②は存在しないからです。
しかしデマ屋はこれを逆転させたり同立に扱って
②を言われたのだからどっちもどっちといったデマを流します。
それは完全に詭弁、騙しです。
先に嫌がらせをして追い詰めなければ僕は相手にその言葉を放っていません。
同時でもなければ②が先でも無いんです。
しかしデマ屋はまず②を強調します。
実際に僕は2垢目は即ブロックして相手に絡みになどいっていません。
3垢目が来たからこそ余りの汚さに嫌悪と恐怖を抱いたのです。
「死のうがしったことではない」
その後、別のアカウントとの会話で僕への行為をこのように言っています。
「生きようが死のうが知ったことではない」
「人格否定も差別的な誹謗中傷も一切していない」
完全にデマ屋は自分の粘着行為を無視しています。
しかもストーカー行為をした後に「死のうが知ったことでは無い」とは、相手を追い詰めても呵責も際限もない強い害意があることを示しています。
また、匿名でこういった意見が質問箱にありました。
これもデマ流布と同じです。デマ屋がやった嫌がらせに言及していません。
「レスバ程度」×
「ストーカー粘着」〇
被害者であることが証明される
一方その頃僕は、第三者がデマ屋に踊らされていることにイラつき、Twitterに連投をしていました。30連投くらい?
ここで「落ち着け」等、多数の人に言われていました。
しかしよく見てみましょう。
〇ねーー!とか、無意味な罵倒とかしてないでしょ?
デマ屋にやり返す!とか害意を示すことは一切言っていません。
さて、僕がぶちぶち文句を言っているのを見て、錯乱している、ヤバい、大丈夫か?など質問箱やDM等で僕の心身を心配する声が多数あがりました。
つまり、外野から見て僕がの平常時とは異なっていると見えていたわけです。
・デマ屋:「嫌がろうが死のうがしったことではない」〔強い害意〕
↓
・柳メロ:イラついて平常心を無くす、デマ屋に害意無し〔被害を認識〕
↑
・第三者「柳メロンパンさん大丈夫かな?」〔被害を見て心配〕
完璧に矛盾なく僕が被害者です。
客観的な証拠と証言が、僕が被害者である事を証明しています。
僕に非が無いことの説明は以上です。
「〇〇と同じでしょ」「〇〇とどう違うの」
デマというのはたいてい「切り取りによる事実を捻じ曲げた印象操作」です。
完全な嘘では無いものの、状況や言動を部分的に切り取ったり組み合わせてコラージュして、事実とは違うものを流布するものです。
今まで説明した僕の実例でも「柳メロンパンに侮辱された」は事実です。
しかしデマ屋にとって不利な部分を矮小化していたり無かったことにして、より「柳メロンパンの侮辱」を強調していました。
その応用型でよく見るのが
「〇〇とやっていること同じでしょ」「〇〇とどう違うの」
これに対して「違う」と述べて説明をしても、デマ屋は違いを知りたいわけでは無く、揚げ足とる為に延々喋らせているだけです。
この言いざまが出ただけで話を切り上げていいです。
これに対する答えは
「その違いが分からない人間が絡んでくんな」
一択です。
これは複数の並行した自称の詳細をそぎ落として共通項だけを見せる手口です。
例:2つの物体がある。
・紙に描いたイラストのリンゴ
・本物のリンゴ
「どちらもリンゴだ」
「どちらもリンゴだ」は事実を述べています。嘘ではありません。
が、付随の情報をそぎ落とし「リンゴ」という共通項を見せているので、物体が何であるかの説明として機能しません。
ほぼ無意味な8つの文字列です。
逆にリンゴ以外の事象を抜き出すと「食べ物とイラスト」になります。
「どちらもリンゴだ」と聞いて食べ物だと思い込む人もいます。
印刷物にリンゴのイラストが必要な人は本物のリンゴがあっても困ります。
この「どちらもリンゴだ」の8文字が情報として役に立たないのが分かります。
食べ物でもイラストでもいいや!という状況が少ないからです。
これを実例で見てみると、
「イケハヤがブロックした後にデマ流すのと、柳メロンパンがやっていることは同じ」
→イケハヤがブロックしているのは事業者として答えなければいけない質問や批判で不当、事業者としての責任が無い
→柳メロンパンは非営利の個人、ブロックしたのは聞く義理も無い揚げ足取りデマ屋で加害者、拒否するのは権利
このように、デマ屋に都合の良い印象に使える部分だけ抜き出しているわけですね。
これも前述したのと同じく、否定する為に双方の詳細を述べて違いを表さないといけないので非常に労力がかかります。
解像度やピンボケで例えるのもいいでしょう。
解像度が低かったりピンボケでぼんやりしている状態で同じに見えても、事細かな詳細の見える画になれば違いがハッキリと分かるといった具合です。
デマ屋は詳細を削いだ言葉で印象操作するので、短時間で人に届きやすくインパクトが出やすいという利点もあります。
ああ、やだやだ。終わり。
「自分の楽しみの為に人に嫌がらせしちゃうよーwww」
— 柳メロンパン (@87gimeronpan) 2021年2月15日
「嫌がらせしたら侮辱されました、許されない」
これを同一人物がいうのがダブスタいうねん。